よく音が汚い、と言われることがあります。
汚いは究極の酷い言い方ですが、優しい言い方をすれば、硬いとか、強すぎるとか、、、
私も子供の頃、肩に力が入り、よく言われていました。(今でもフォルテの和音とかで時々言われて、直します)
原因は脱力ができていないからです。
ピアノを弾きながら脱力するというのは、本当に難しく、完全に力を抜いたら、そもそも弾けませんから、必要なところは残して、残りを抜くということです。
指先だけはしっかり、残りは脱力、とか、弾く瞬間のみ全体重をかけて、即抜く、とか。
体の使い方を直すことは本当に難しく、自分がどのように、指先〜手〜下腕〜肘〜上腕〜肩〜背中〜腰を使っているか、日々意識して、体感して、習得するしかありません。
あとは、聴き分けられる耳も大切です。
練習では自分の音しか聞いてないので、その音で十分キレイだと思い込んでしまっていることが多くありますが、実はそうではない場合も?!
先日、NHKのクラシックTVで、ストラディヴァリウスの特集があって、バイオリニストの古澤巖さんが、1718年製の“サン・ロレンツォ”を手にしてから数年間は、全然鳴らせなかった、とおっしゃていました。
力で鳴らそうと思っても鳴らない、でも触れるだけでドッカーン!と迫力のある音が出るそうです!
ピアノは持ち運べないので、その場にあるピアノを弾くわけですが、(大物ピアニストともなれば、お気に入りのピアノも会場に持ち込むことも!)そのピアノの持つ、最高の美しい音を出せるよう、脱力と繊細な感覚と、何よりも聴き分けられる耳を育てていきたいですね。
しかし綺麗な音にばっかり拘っていては、曲想、表現が出来なくなる、というジレンマに陥るのですが、あくまでも初めに表現ありき、で、まずはどういう表現をしたいのか、それにはどういう音が欲しいのか、その音を出すにはどのように体(指、腕、肘など)を使えばいいのか、という順で追求していくべきだと思います。
今、バッハコンクールの全国大会に向けて、シンフォニアを煮詰めているところなのですが、すでに何ヶ月も取り組んでいるため、ここからさらに表現力を上げるにあたって、各部分のイメージを書いてきてもらいました。
前の週のレッスン時に、私が想像する参考例を少し話して、(冬・春など季節、朝・夕暮れなど時間帯、森の中・小川・教会など場所、登場人物など)それを元にしてもいいし、自分で違う話を作ってもいい、場面の繋がりには何の脈絡もなくていいので、その場その場のイメージを書いてきて、と宿題にしました。
次の週には、私のアイディアとは違った面白い発想もあり、とてもよかったです!
自分の頭の中にカラフルな映像のイメージを持って、そのイメージをどこまで人に伝えられるか、が、表現なのかなと思います。
バッハコンクールの難しいところは、それをやりすぎるとロマン派みたいになってしまうので、最後少し抑える必要があり、、、審査員の好みもあり、加減が非常に難しいところです。
でも最終的には、どう評価されるかは分からないけれど、自分の好きなように弾いたらいいかなと思って、全国大会に送り出すことにします。
ピアノは本当に奥深いですね。一生勉強あるのみです!

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